注目
- リンクを取得
- ×
- メール
- 他のアプリ
メルカントと藤紫の魔女(原題「Art & Wizardry」)- 3
本テキストはAndroid向けゲームアプリ「Art & Wizardy」のテキストを
一部抜粋、加筆修正したものとなります。
つい先ほどのことが、もう随分と前に起きたことのように感じられる。
たった今、まさにこの場で起きたことをエディはボンヤリと思い返していた・・・。
ここに立て、とウィステに言われるまま、とある一枚の画の前に立つエディ。ひょいとラッドがその肩に飛び乗る。意外なほどのその軽さにエディが驚いていると、背後に立っていたウィステがそっと背中を押してきた。
「では、いってらしゃいな」
抗わず、押されるがままに足を一歩、前に踏み出した、と、その瞬間、自分が漆黒の空間の只中に立っていることに気が付くエディ。
手を伸ばせば届きそうなのに駆け寄っても距離が縮まらない、そんな遠近感を伴わない異様な視界の向こうに、絵画に描かれていた魔物が浮かんでいる。角を持つ一羽のうさぎ。そんなものが実際に存在するのか、エディには見たことも聞いたこともない生物が微動だにせず、ただその場にふわふわと漂っている。
「さあ、それでは始めるぞ!」
耳のすぐそばで、何やら愉しげな声色を含んだ調子でラッドがそう発破を掛けてきた。
すると、前方から何やら奇妙な光の球体が自分達へと向かってくるのが見えて・・・。
事態の把握もままならない内に、ウィステが「除霊」と呼ぶ作業は終わった。
それは、子供たちが二つの陣営に別れてひとつのボールを投げあい、相手にぶつけて陣外に追い出していく遊びに似ていた。エディの役回りはただひたすらボールをかわすことであって、反撃はラッド一匹がこなすのだが。
エディにしてみれば、ラッドの罵倒混じりの指示に従い、ただひたすら右往左往をしていただけ。そうして時折、やはりラッドに言われるがまま、いつの間にか手にしていた棒切れを振るうだけ。
そのラッドはというと、落ち着き払った様子で状況を観察しつつ、終始、異常なほど器用にエディの肩の上でバランスを維持、なにやらぶつぶつと呪文のようなものを唱えていた。
気が付けば、目の前のうさぎはその像を徐々に薄めていき、やがて周囲の暗闇に溶け込むように煙のごとく消えていく。
「終わったぞ!」
そうラッドが一声、誰にともなく呼びかける。
「ええ、見ていたわよ。お疲れ様」
ふいに耳に飛び込むウィステの涼しい声。と、額縁に収まったうさぎの画の前に自身が立っていることに気が付くエディ。館の一室、現実の空間に戻ったのだ。
「よしよし、問題ないようね」
除霊を終えた絵画を注意深く確認し、そう一言、口に出しながらウィステは満足そうに首肯する。
「さて、所感はいかが?十分、やっていけそうなのではなくて?」
「ふん。あまりに手応えが無さ過ぎて、むしろお前に馬鹿にされている気がしないでもないが、まあ、こんなものだろう」
「よし、決まりね。それじゃあこの調子で、どんどんと片付けていってもらいましょうか!」
俺の意見はどうなっているんだ・・・。
二者の会話に一言も口を挟めぬまま、エディはただ呆然と、事態の成り行きを見守っていた。
言葉にまとめるだけの気持ちの余裕はなかったが、エディにしてもラッドの意見には概ね賛成だった。まるっきり「お遊び」のレベルであって、もはや誰にでもこなせる仕事のように思える。少なくともエディ自身の役回りに関しては、だが。
そうしてその日、もう数枚の絵画について同じような処置を繰り返しても、エディのその感想は特に変わらないのだった・・・。
運河の水面の煌めきが目に刺さる程に眩しい。
メルカント中を縦横無尽に結ぶその流れは、極めて緩やかだが、この都市の動脈とも呼ばれる重要な交通網だ。水路交通の主となる大河と陸路交通の要となる大道路に接する広域交易の一大拠点であり、「爵位持ち」に比肩する大商人たちが組織した評議会により、実質的な自治運営を維持している都市国家。
その一画を進む、寡黙な御者が手綱を引く二頭立ての幌馬車。そこに、エディとラッドが乗客として乗車していた。エディがウィステの館への侵入に失敗してから数日が経過している。
自分たちが除霊を完了させた絵画の数枚を、発注主だという、とある豪商の館へと今、納品してきたところだった。
不気味な題材を描いた画とは言え、美術品であることには間違いがない。
その扱いには細心の配慮が必要だからとウィステが手配したこの馬車は、メルカントでも利用する人間がごく一部に限られる、まさに一級のものだった。
乗り心地は文句のつけようがない。あまりの心地の良さに、エディの隣でラッドが身体を丸めて穏やかに眠っている。
例の呪いは解除されておらず、お互い、あまり距離を置くことはできないままだ。
エディは、今朝、ウィステに言われた言葉を思い出していた。
「ふむ、まだまだ仕事も序盤の序盤といったところだけど、なかなか順調に片付いているじゃない。あなたたち、意外に相性が良いのかもしれないわね」
実のところ、エディもそう考えているところだった。おそらく、ラッドも心中、同じ意見なのではないだろうか。
真剣を斬り付け合うような、そんな本気の命のやり取りを演じるわけではないが、絵画に封じられた魔物と戦うという非日常の中に共に放り込まれた一人と一匹。その間に一種の連帯感が生まれるのも当然と言えば当然かもしれない。
だが、それだけではない。
喋る猫など、今の今まで、見たことも聞いたこともなかったわけだが、初対面で、少し言葉を交わしただけで、なぜか古くから知る親しい友人と接しているかのようにラッドのことを感じられるのだ。口を開けば、大抵はこちらを貶す言葉ばかり。しかし、やや古めかしい口調を好むものの、いちいち嫌味なウィステとは違い、直截的で実に明瞭、明確なラッドの物言いはとにかく気楽で合わせやすい。生来、言われるばかりではいられない性格のエディとしては、考えるより早く、ほぼ反射的に「減らず口」が口をついて出てくる。勝手のわからぬ状況下でも、互いの口からごく自然に湧いてくるそんな軽口の応酬が、過度の緊張を解きほぐし、むしろ目の前の困難を楽しんでやろう、そんな気分にさせるのだ。
「仕事はまだまだ山積している」
ウィステからそう聞かされて、エディはむしろ喜びを感じているほどだった。
当の本人は、まだ、そのことに気が付いてはいなかったが・・・。
ー 続く ー
コメント
コメントを投稿